だいちのこと嘘つき日記

本当と嘘とその間の隙間

本当につまらない男になってしまった。

最近はみ出ていない。

なんとかまとまろうとしてしまうし

いろんな人の意見を鵜呑みにして

自分の精神性にあるものがどこにあるのか分からなくなる。

生きる上で大事なものができすぎてしまった。

税金のこととかね。愛する人のこととか。

将来のこととか。

 

ありのままって難しいね。

ピース。ピース。ピース。

 

 

 

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自由無き一人の

自由無き一人の労働者
あるいは代弁者としてここに記す。

中止や延期。
経済自体もままならないこの世界において
ネットではいろんな言葉は飛び交い。
揚げ足をとったり、とられたりする。

最近は言葉について、また考える機会が多い。
変わらなければいけないのは、みんな同様なのだ。
精神性において、アプローチの仕方を変える必要を迫られる。

こういう時にこそ逆境に打ち勝つコンテンツが生み出るのだろう。
世界が変わりゆく時に、私たちもまた常に決断を迫られる。
知っているあの人と知らないあの人にもまた笑って会えるように。

ピース

ボーリング

最近生きている感じがボーリングやっている感覚に近い。

 

昔はロックンロール!!みたいな感じで

ロックをロールしている感があったんだけど

ごつごつとした自分を坂の上から背中を押されて転がっているみたいな感じだったのですが。

 

自分が丸になったからなのかなんなのか。

自分が球体のような感じで、ピンに対して転がっている。

ころころころーって感じ。

 

 

これは成長なのか。

進化かなのか。そういう気分なのかは

まだ分からないんだけど

 

なんちゃらフリーという曖昧さ

なんちゃらフリーというのに違和感があった。

なんで違和感があるのか腑に落ちない為、いろいろと考えた。

 

仕事をするにあたって、曖昧さというのは限りなくなくして

明確にしたいというのがある。

 

だけど、世の中はだいたい曖昧で

曖昧さを打ち出す人達もいて

明確なものがよいのか、曖昧なのがよいのか分からなかった。

 

そして、曖昧さを打ち出す人々が不思議だった。

自分の状況が曖昧なだけで、こうありたいというのがあれば分かりやすかった。

そういう人達のことは理解できる。

今の状態が曖昧で、はっきりとしたいという理由で悩む人は理解できた。

 

曖昧さが僕の悩みの種だった。

いろいろ思考をしているうちに

明確な曖昧というのも存在するということに気づいた。

それは答えがでないものだ。

答えがでないものに対して明確に答えているという事情なのだと。

 

曖昧なことは分かりづらい。

何故なら、はっきりと明確なものが分かりやすいからだ。

そして世の中は曖昧だ。

曖昧でできる世の中は優しさと愛で出来ているんだと思う。

だからといって、僕は曖昧の中で明確なものをきっと探すだろう。

他人の曖昧さは許容しながら、理解に努めよう。

明確なものを翳すことなく生きよう。

そして曖昧なものも翳すことなく謙虚に生きよう。

 

 

 

 

逆光

人生にはいろいろある。

 

多分、逆行こそが自分の人生のテーマなのだろう。

 

だから、今回もそうなることを切に願うばかりだ。

 

そう願うばかりなのです。

僕の世界はあんまり変わらない。

綺麗な眉をしたあなたが

ゆっくりと歩いている姿に見惚れていたんだよ。

 

ご飯ちゃんと食べてますか?

 

ハイヒールは今でも嫌いですか?

 

僕の世界はあまり変わらない。

 

冷ましてしまったのね。

 

横置きになった重なった新書と

新聞とコーヒー

 

小綺麗なスーツ

 

 

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ファ

僕には10年にもなる友人が何人かいる。
その友人たちとは一年に一回は必ず会うことにしていて
今の現状や、悩み事を打ち明けて、酒を飲みかわし
笑顔でまた会おうとさよならとする。

僕たちはまだ青年に満たない頃にに会い
故郷や育ち方も違う中で同じ飯を食い、同じ酒を飲み
同じ風呂にも入った中でもある。
夢を語り、喧嘩をし、その中で僕らは常に対等である努力をした。
まるで性格も違う僕らが、小さなこたつに本一冊を置き
安い焼酎を飲みながら、未来についてよく話していた。

今や僕らは家族もいて
違う場所で違う形で生きている中で
あの頃の思い出は褪せないままでいる。

僕らは「ファミリー」だと
親友以上の関係だと思っている。

 

今年はよく会ったな。

また明日からも久しぶりに会う。

あいつは元気だろうか

どこかで元気でやれよー