だいちのこと嘘つき日記

本当と嘘とその間の隙間

現代

やはり人間の価値観は更新でしか変わらないのではないか。

すこしずつ変えていかなければ人は変わらない。

地震がおさまって自分達の生活が落ち着いたら関心はそがれてしまうんではないか。その中で新たな情報媒体は希望の細い糸なのではないだろうか。

一時期の団結力、愛国心、協力心は続いて行くものだろうか。

いろんな情報に踊らされて、選択させられ、勘違いさせられ、気づいたうちには

もう遅いなんてことなんか。今後いっぱいあるのではないか。

僕らが作り出した画期的なシステムは僕らがよりよく生活する為であるはずだ。

その意味、意義さえ忘れて組み込まれ、脳みそは洗脳され、

考えもせずただの歯車として動かされるままに動いているだけではないのか。

目的と目標をとり違いてはないか。

何かをするために目標をたてるけど、目標をつくるために何かをしているのではないか。

自分と世界を見つめ直し、そして それが繋がっていること

繋がりを感じなければいけない。

そう僕自身も。

地震で人の価値観は変わるのか。

希望はある。

ただ世界の流れや日本の流れを見てみよう。

変わっていない。この一言につきるだろう。

何も変わってはいないのだ。

それよりもっと悪い方に加速しているのではないのか。

知らず知らずのうちに気づかぬうちに

世界は動き 誰かが動き 

悪い方向に進めて行こうとするオールドタイプの馬鹿な奴らがいるんではないか。

傍観者でいた僕たちの そして 今傍観者でいる僕たちの罪。

そういうものを実感しなければいけないのだ。

無関心が罪なのだ。関係ないと思うのが罪なのだ。

そう、この世の中にしたのは僕たちなのだ。

誰かのせいにする人が多いが、自分達の間違いや枷を

もう一度考えて欲しい。そして僕ももちろん考えるから。

ニュースやネットで感動話を聞いて
感動する。
嫌になるから、事実を目にしない。
そういう僕たちの弱さが僕たちが住んでいる世界をダメにしてしまうんではないのか。
はじめることからはじめよう。
僕らの未来は決して明るくはないのかもしれない。
それでも光は照らしてくれるのだ。
その光を見つめる強さを
その影を見つめる強さを

僕たちに下さい。

感動話に感動して勇気をもらうのはいいが

誰かの行為に対してただの傍観者ではないのか。

結局のところ、僕らは心のどこかで無関係だと感じてはいないか。

傍観者ではないか。傍観者は罪ではないのか。

僕らが出来る事をしなければいけない。

幅広い意味でもっと考えよう。

そして行動しよう。

たとえ小さなことでも僕らはそういう小さなことで繋がっているかもしれないのだから。