だいちのこと嘘つき日記

本当と嘘とその間の隙間

最近の休日の過ごし方は至って普通だ。

ひたすら酒を飲んでいるか、仕事をしているか、考え事をしているか、ネットでひたすら評論やブログを読んでいる。

ツイッターは、好きだったあの子の情報を与えているけど
その分切なくなる。

FBは簡単にリアルと繋がってしまうから、仕事を忘れられない。

mixiは何の情報を与えてくれない。

最近、友達に言われた言葉がある。

「だいち君は、自分はあぁだから、こうだからってのが多過ぎる。」
これは、ダメな自分を肯定し過ぎているという意味だと思った。
僕は、自身が無い。そして認められないというのがあって、
僕と付き合うなら、前提として、ここを分かって欲しいというのがある。
でも、それって本当にいいことだろうか?ということだ。

本当にダメなら人間はそれを直そうとするし、成長するはずだ。
所謂、生きて行く為に進化していく生物の根本的な形。

ただ、人間はダメでもある程度は生きて生ける。
社会的に殺されることも、極端に少ないしね。

結局は僕みたいな人間は腐る程いて、
それを肯定したり、否定したりで、評論や、ブログは存在している。

でも、結局そういうものを読んだって
世界の謎を解いたつもりになるだけで、
新たな発見のような発見止まりだ。

「答えは自分の中でしか見いだせない。」
この言葉に尽きる。

言っていることはみんな道徳で、簡単なものが多い。

だから、僕はこうしようと思う。

「自分を見つめ直して。そして、自分自身で決定を下す。」
直感的に生きて行こうと思うんだ。
結局、情報なんて多すぎて消化するまでに時間はかかるし、
惑わされることもある。
予備知識は大事であるけれども、もっと大事な感覚ってあるはずだ。

それは「幸せである感覚。」という奴だ。
あぁ、やっちまったこれではみんなと言っていることが変わらない。
でも、それでいいのだ。

僕は肯定をし、否定をする。
人間であり、私一個人としての自分を認め、そこを改善していく。

あぁ、とても前向きな発言である。
我ながら、あっぱれだ。

自分を認め、改善していけば、到達するべき点は僕が求めているものだ。
認められ、必要とされること。

要するに僕はモテたいのだ。
女にモテたいのだ。

僕は女が好きだからね。
というと誰でもって感じがするけど、違う。

所謂、特殊な女の子が好き。
それは魔性の女、魔女。特別な女の子だ。

彼女らに共通することは、
言葉の力を持っているということ。

それが矛盾していることでさえ、その言葉の威力を感じる子だ。
単純に、彼女の肉体から発せられるからなのか。
それ自体に力があるのかは僕は分かっていないけど。

「だいちが好きよ。」この僕の中でリピートされる心地よい呪いが僕には解けない。

僕はとても簡単な男だ。
「好き。」と言われれば、好きになってしまう。

そして彼女たちは簡単にその言葉を口にして、
微笑み、僕を苦しめるのだ。

それでも、僕は性懲りも無くまた、恋をする。
それはとても一瞬で、輝いていて、僕を苦しめる。

だから、なるべくしないようにしている。
だけど、したいのだ。本当は、本当はしたいのだ。

あぁ、恋したいな(笑)