悲しい気持ち
悲しい気持ち
自分の変わりに死んでくれるものはなんだろうか。
twitterであるだろうか。
僕たちはとても弱い生き物で、
友達、恋人を失ったり、仕事を失ったり、その他もろもろの大切なものを失ったり、
悲しんだりしたら、すぐにスイッチを押して、
死にてぇ〜なぁ〜とか思ったり、消えてしまおうと思ったりする。
僕らは何を失っているんだろうか。
それとも、失い続けていくことが生きることなのだろうか。
といっても僕らは意図的に死を繰り返し、生を目指す。
生まれ変わりたいと強く望む。
幸せになりたいと叫ぶ。
インターネットの世界は割かし、生と死を繰り返される。
ブログ、ソーシャルネットワーク、ニコ生。
僕らはそうやって生まれては死んで、また生まれる。
繰り返される生に、嫌気がさしたり、快感になったり。
僕らはそうやって繰り返して生きていく。
だけど、本当に求めているのは、リアルなのだ。
生きている実感なのだ。
だから、なんだかおかしいなと思う。
だけど、寂しいから繋がりたいと孤独になりたいと思う。
いつかは果てて消える夢ならば、いっそ失くなってしまえばいいのに。
それなのに、僕は耐えもなくもがき続ける。
幸せになりてぇ〜んだと煙草を吸い。
幸せになるんだと酒を飲む。